— 01 —同じ言葉が、部門ごとに違う意味を持つ
「ブランド」という言葉の守備範囲は、驚くほど広い。ロゴやデザインの体系を指すこともあれば、知名度やイメージを指すこともあり、企業の約束や世界観そのものを指すこともある。英語圏でも、brandは文脈によって商標から企業の評判までを行き来する。学術の世界でも定義は一つに定まっておらず、実務の現場で解釈が割れるのは、むしろ自然なことである。
問題は、この多義性に誰も気づかないまま議論が進むことだ。経営は投資の話をし、制作はビジュアルの話をし、営業は認知施策の話をする。全員が「ブランド」と口にしながら、実際には別の対象について話している会議は、決して珍しくない。議論が噛み合わないのは参加者の理解力の問題ではなく、土台となる言葉の設計の問題である。
言葉が多義的であること自体は罪ではない。罪なのは、多義的な言葉を定義しないまま、意思決定の中心に置くことである。定義なき言葉は、その場でもっとも声の大きい人の解釈に引きずられていく。
同じ「ブランド」という一語で、全員が別のものを見ている。この噛み合わなさに気づかないまま議論が進むこと、ありませんか。正直、そこを揃えるだけで半分終わる気がします。
— 02 —アイデンティティとイメージ — カプフェレの区別
ジャン=ノエル・カプフェレは『The New Strategic Brand Management』において、送り手の側が定義する「ブランドアイデンティティ」と、受け手の側に形成される「ブランドイメージ」を明確に区別した。自分たちが何者でありたいかと、実際にどう見られているかは、似て非なる別の概念である。この二つを近づけていく活動こそがブランディングだ、と言い換えることもできる。
この区別を社内に持ち込むだけで、議論はかなり整理される。「うちのブランドは弱い」という発言が、そもそも定義が曖昧だという話なのか、定義はあるが伝わっていないという話なのか、それとも単に認知が足りないという話なのかを、切り分けて扱えるようになるからだ。同じ「弱い」でも、処方はまったく異なる。
カプフェレが強調したのは、イメージは結果であり、源泉はアイデンティティにあるという順序である。受け手の評価だけを追いかけて送り手の定義を持たない組織は、風向きのたびに言うことが変わる。アイデンティティという錨があって初めて、イメージの変動を解釈できる。
— 03 —ずれを放置すると、何が起きるか
言葉のずれは、単なるコミュニケーションの非効率にとどまらない。ブランド投資の稟議が「ロゴ変更の費用」として矮小化されて通らない。逆に、デザインの刷新だけで事業課題まで解決するかのような過大な期待が生まれ、後の失望を招く。どちらも、定義の不一致が引き起こす判断ミスである。稟議の通し方の巧拙以前に、判断の土俵がずれているのである。
また、部門ごとに別々の「ブランド」を追いかけると、施策の評価軸もばらばらになる。制作物の統一感を誇る部門と、認知率を追う部門と、理念の浸透を語る部門の成果は、互いに比較も合算もできない。言葉が揃っていない組織では、ブランドの成果を測ることも、責任を割り当てることもできない。組織の中でブランドの責任者が育たない遠因も、ここにある。
外部パートナーとの協業でも同じことが起きる。発注側と受注側で「ブランド」の意味がずれたまま進んだプロジェクトは、納品物の出来にかかわらず、期待とのずれを残す。着手前に言葉の定義を確認するだけで、この種の齟齬の多くは防げる。
— 04 —社内の共通言語を、どう作るか
処方の第一歩は、自社にとっての定義を短い言葉で明文化することである。学術的に正しい定義を輸入するよりも、「私たちはブランドという言葉をこう使う」と決めることのほうが重要だ。定義には、送り手が決めるアイデンティティと、受け手に生まれるイメージの区別を含めておくとよい。完璧な定義を目指して議論が止まるくらいなら、暫定版を掲げて使いながら磨くほうがよい。
次に、その定義が繰り返し使われる場を設計する。経営会議の資料の冒頭、ガイドラインの最初のページ、新入社員のオンボーディング。言葉は掲示しただけでは定着しない。使われる場面を持って、初めて共通言語になる。とくに新しく加わったメンバーが最初に触れる文書に定義を置くことは、浸透の効率を大きく変える。定義は文書の飾りではなく、日々の判断の入口に置かれて初めて働く。
ブランディングというと施策の話から始めたくなるが、順序は逆である。まず言葉を揃える。それだけで、社内の議論の噛み合い方は目に見えて変わる。共通言語づくりは、もっとも安価で、もっとも効果の大きいブランディングの第一歩であり、カプフェレの区別はそのための最初の道具として今も有効である。
- 「ブランド」は本来多義的な言葉であり、定義しないまま意思決定の中心に置くことが混乱の根因である。
- 送り手が定義するアイデンティティと、受け手に形成されるイメージの区別が、議論を整理する第一歩になる。
- 自社なりの定義を短く明文化し、繰り返し使われる場を設計して、初めて社内の共通言語になる。